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池田町屋 / 多治見市の古郷

下街道 池田宿の今昔 Vol.1 概略

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池田古地図 3


池田郷土史という本より、
今から134年前の明治13年に明治天皇が行幸した時に記録された古地図です。

まだ、江戸の名残りが深く残っていたこの時期に、当時の繁栄ぶりがわかります。
中山道より名古屋への近道だった下街道、その美濃最後の宿場町だった池田宿は、
難所である内津峠超えの身支度など滞在客も多く、江戸期に繁栄を迎えます。

 街道が特に発達したのは江戸中期のようで、武士の往来が多い公道である堅苦しい上街道より、荷物の往来が多くお気楽な庶民の街道は人気があったため活気に溢れていたようです。

下があるので上街道というのもあるのでは。
その通り、上街道は中山道を指し、その中山道と下街道の間に御嵩を通る中街道というのもありました。

 美濃と書きましたが、江戸の池田は尾張藩の管轄でした。
その江戸期には、春日井の坂下と並び商家が100軒あったと言われ、
勝川など他尾張の宿場に比べ規模で圧倒していました。
同時期の多治見が商家2~3件なので、いかに池田が隆盛を極めていたかが判ります。

 ここでは、江戸薫る地図と現在の様子を比べながら、昭和の想い出とともに紹介していきます。


旧庄屋邸宅前より上を望む
kaido shita1-1

池田中町より上町へ  奥に旧見附邸宅跡を望む

kaido shita2

池田上町 メイン通り 右に利八 正面常夜燈

kaido kami1

内津方面へ抜ける  右に曲がると永泉寺

kaido kami2



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