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「城_総合」
近隣諸城

下野砦

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福岡町北部にある下野集落。
中津川より付知にいく中途にあるが、苗木城の元と云われる広恵寺城から北に近い。
下野は、明治30年福岡村と合併するまで江戸期より福岡村とは異を保ち幕府領だった影響もあり、強烈で徹底した廃仏毀釈を断行した旧苗木藩と違い部落中心にある法界寺は村民により守られた。

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下野砦は造営中途の砦と云われ、広恵寺城が至近にある事で必要性を感じないが
南北街道と中山道西道が交差する交通の要所だった事から設けられた様だ。
稲荷神社を控える比高40m頂に遺構はある。

三日月状の横堀らしきものが帯曲輪に這い設けらている。
若干緩やかな坂を伴う平場奥に、段差を設けた切岸の様なものがある。
非常に単純な遺構は、森が木曽勢に対抗し臨時に設けたものか、上矢作・岩村を抜け侵入する三河勢に対し設けたものか不明な点が多い。

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なお、飛騨方面と隣接した土地でもあり、室町期より江戸を迎えるまで砦の必要性を考えた。
京極守護代の三木氏とは大円寺住職の明叙が三木直頼の兄であった関係で、遠山氏との関係は良好だった。
また、姉小路家を乗っ取った三木を駆逐した金森長近は、森と同じく秀吉麾下のため砦を急に拵える必要性はない。
つまり監視としての下野砦の必要性は感じないのだ。
因みに、金森長近は土岐一族であり、多治見出身では一番立身出世した人物だと思う。
金森は元大畑長近であり、現大畑町に代々居住した一族でもある。

時期は前後になるが、他考えられるのが武田による苗木制圧時に臨時に物見砦として造られたか、
郡上遠藤氏が本能寺の変後に南下するのを防ぐ為か、
実際森に遠山氏が苗木を落とされているため、対森用に急ごしらえで用立てしたものだろうか。

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