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池田町屋 / 多治見市の古郷

池田五山

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最近、娘が池田五山の位置を教えてほしいと聞いてきたので、
久しぶりにブログを開き連連と五山につき書こうと思う。

ご存知五山は寺を示す言葉だが、池田にも五ケ寺があり、一大修験場とし近隣に聞こえた存在だったと伝承する。
元は国家宗教として発展した華厳宗の寺院とし、鎌倉後期〜江戸初期にかけ真言宗一派として発展してきた。
(池田郷土史)
池田町屋郷土史の中に寺伝に伝わるというのは、言うまでもなく現在も続く永泉寺由緒の事だと思う。
実際に法華宗から密教に置き代わる事は、不自然なことではない。

また、可児の道場として発展した池田五ケ寺は、鎌倉末期に五山と称したと考えられる。
日本で元祖となる鎌倉五山は、小此木輝之氏の論文に簡潔に書かれている。
氏によると、建長三年に建長寺が創建、中国の経山万寿寺に擬して、五岳之首としたとある。

正安元年己亥五月、在大慶寺、受浄智請、師便拒辞、釣選惟厳、
具又御書蓉藤、要令興隆仏法、張煩視最、師不護已、以住浄智、
使其浄智昇五山之列、又因師之住也(無象和尚行状記)

(北条時頼) (普寧)於蝕、鎌倉最明寺殿平公、宿習開発、得旨於兀蕎和尚、爾来大關
禅苑、定天下五山、(智覚普明国師語録)

延慶元年(一三〇八)円覚・建長の両寺が太政官符により定額寺となったことから考えて、
五山はより官刹化傾向を示す制度として、幕府から認可されたと見識を述べている。



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