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「城_総合」
東池田城

東池田氏における2つの仮説

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信長公記で見られるように、天正2年(1574)信長は、武田軍(秋山信友)の抑えで鶴城の神篦城に川尻鎮吉を入城させたのと同じく、池田信輝を小里城に入城させたのは有名な話。
実は東池田を調べるにあたり重要なファクターである。

 現在、斎藤妙椿が活躍する頃から明智家が滅亡する山崎合戦の頃までを東池田第2期とし2つの仮説により検証している。
 一つは【美濃国諸旧記】【明智軍記】に見られる土岐明智の一族から派生し、東池田を名乗る者が東池田城を居城とし累代続くもの。
 もう一つは【濃陽史略】で池田信輝が入城とあり池田の伝承(五輪塔)も同様であること。

明智一族に関する記載文書の徹底的な焚書の影響からか、背景が全く見えず当地支配関係の文書も判明しない。
武田氏の関係が考えられる根本の若尾氏は、本能寺の変後の東濃支配者である兼山の森長可から南は小木までの支配を認められる。
妻木氏は細野から多治見にかけてを領しながら森と徳川に翻弄され定まらず、久々利氏は森長可に当主頼興が暗殺される天正11年(1583)まで、池田郷内長瀬の永保寺に多大な影響力を持ち、柿下から小名田・高田・住吉方面まで勢力を張っていたことが判っている。

つまり池田御厨を持つ本郷の東池田城下はどの勢力が支配していたのか不明瞭のままである。
江戸期に入り下街道の池田宿となる本郷は、<池田観音寺遺跡>として多治見の文化財保護センターも集落の存在を把握しており、実際に認識範囲内の畑のあちこちで山茶碗・白瓷の細片が落ちている。
集落の存在自体を否定するのは難しく、何れかの支配勢力が存在した事は疑う余地もない。

明智系池田氏が東池田に定住し山崎合戦後廃城となり、同族の妻木氏が実効支配・配下安藤氏を城代にしたのか、または【太平記】に見られる様に延文5年(1360)東池田当主が番豆崎城に幽閉された後、残された東池田城は廃城となり、224年後信輝が小里城との中継地代わりに砦として復活させたのか、文書が見つからない現状では2つの結論から逆算し推論を組み立てている。





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