FC2ブログ

「古窯_総合」
古窯_連Ⅱ期

鍛治ケ入古窯

 ←川平古窯 →神宮古窯
kaji2

妻木鍛治ケ入地区に連房Ⅱ期(1630ー1670)から昭和期の非常に長い期間にかけ、登り窯が稼働した古窯
江戸期の登り窯を潰し新たに近代の窯が築窯されていたと考えられている。
江戸期の製品は、天目茶碗・丸碗・拳骨茶碗・皿・擂鉢などの食器から鉢・壺に神仏具など多品種とのこと。
近隣の桜ケ根古窯の製品に似ており、かつ瀬戸の同時期稼働していた窯のものに類似するものも見られた。

現在の遺物は磁器による食器が中心であり、物原には手ロクロと機械ロクロの製品が混在する
幕末から明治前期は飯碗・蓋、大正に入ると珈琲碗が主体となると中蔦茂氏の文献にある

当古窯は江戸期文献にも名前が見られる。
『加藤儀兵衛文書/瀬戸竈焼物師伝記』
同郡上水野村山之内江引越居住仕居申候所、かま之洞と名附焼物職仕居住致候所、
其後御林方役人衆之屋敷ニ相成申筈ニ相定リ候故、右四人之者外所江引越候様ニ仰付御座候故、所々引越焼物職仕候、
一、春日井郡半田川村江 加藤右衛門引越
一、濃州妻木村之内三本松江 加藤源重引越
一、同州同村之内かじかいりと申所江 加藤勘右衛門引越
一、同州新牧村江 加藤庄右衛門引越

これは瀬戸穴田古窯(寛文以前に廃窯と考えられている)の陶工が上記4箇所へ移動した記述である。

現在は、墓地から民家裏手の広範囲の山にかけ遺物が散らばり、特に堰周辺は溜まっている。
地主のMさん(女性)にお話を伺うと昭和期は窯はあった記憶はなく、明治期にご主人の祖父が竈焚きしていたと話されているのを最後に記す。
(参考資料に色見用の転用皿を何枚も戴き感謝しております)

kaji1




 関連もくじ一覧 ▼ 
総もくじ 3kaku_s_L.png 池田町屋 / 多治見市の古郷
総もくじ 3kaku_s_L.png 城_総合
もくじ  3kaku_s_L.png 町屋歳時記
総もくじ  3kaku_s_L.png 池田町屋 / 多治見市の古郷
総もくじ  3kaku_s_L.png 城_総合
【川平古窯】へ  【神宮古窯】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【川平古窯】へ
  • 【神宮古窯】へ