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池田町屋 / 多治見市の古郷

池田眞徳稲荷神社

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前回 『初午』の流れで、【池田眞徳稲荷神社】(以下、お稲荷さん)を紹介したい。

お稲荷さんの信仰は昭和中期まで深く、その影響力は近隣に及んだ。
特に殖産興業のシンボルとして大きな存在になっていた。

お稲荷さんの草創期を資料で追いかけると、池田城下に位置することもあってか
武運擁護の念が強かったようだ。

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ここで池田城下と記したのは、そもそも現地が池田古城の所在地だったと伝承されており
その麓下・旧14号トンネル辺りに鎮座されていた。

 更に遡ると江戸期の宝永年間に大式の位、下って天保15年に小紀式の位を授かり、社格を整える。
但し、前提が武運擁護であれば、池田氏が没落し廃城となった後の社格拝受なら、個人的に違和感を持つ。

 なお、現地に移転前のお稲荷さんの所在は、池田町屋字大門境内となっている。
大門という地名は、お稲荷さんの山門があり由来したのか興味をそそるが、現在では3丁目にあたる。

線路沿いに保育園・墓地から富士見町林道まで続く道路ができたため、全く往時を忍ぶことはできないが、
その道路と下街道の分岐・三又のところに、昭和期は大きな広場があった。
その広場を地元では大門広場と呼び、僕たち子供は駄菓子を買い込み広場に集合し草野球をしていた。
広場の奥は畑、その後ろは背丈もの草が生えた野原で、辛沢川の中央線高架下まで続いていた。

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大門鎮座の由来は伝承であるが、現地に移転した理由に中央線建設があるのは確かだ。
1896年(明治29年)より90坪の敷地に、改めて京都の伏見神社より分祀し、
正一位池田眞徳稲荷神社として本殿・拝殿を改築・遷座、時に1898年(明治31年)5月1日。

 現在も佇む14号トンネルから旧橋桁にかけ埋もれた場所なのか、
大門の社地に周囲4m近い大エノキと周囲2.6mの藤の木があったという。
近代文化遺産に登録されたとはいえ、廃線となり心霊スポットなどと騒がれるようなものの為に
伐採されたのは実に残念だ。
 境内であれば、神木といえるものではなかったか?
今と違い、目前に土岐川が蛇行しぶつかるように流れていたことを考えると、
大洪水の度に幾度となく厳しい状況にあってきた神聖な旧お稲荷さんの地は、
静かに佇んでほしいと思う。

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ちなみに、このお地蔵さん。
去年までは確かに鳥居の脇にあったが、先日見たら消えている。
何を理由にご不在になっているのか??

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棟札の記載は、その建築物の由来・状況がわかるとても重要な資料だが、
お稲荷さんの神職でなく、真言宗の廃寺・明円寺(池田町屋字新開1020番地)が
執務・祭事参与していた事が記載されている。
 これは、神職が村にいなかった事が起因のようだ。

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 1846年(弘化3年)に庄屋の斉藤政七と明円寺24世が
奉安鎮正一位小祇式稲荷大明神~
 1862年(文久2年)に庄屋の斉藤政七と明円寺25世が
奉安鎮正一位祇式稲荷大明神~

明円寺廃寺後は、
 1872年(明治5年)に庄屋の斉藤政七と神主
奉斉稲倉大宮姫命~

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 なお、敷地内は徐々に整備されていき、お稲荷さん本来の農耕・殖産以外にも、学問・安産などの祈願所も安置されていく。

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 大正期に整備された奥の院も同様か。
山下の土岐川に至っては、対面がラジウム温泉として栄えた金山温泉の池田峡と相まってか、名所としても発展していく。

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 神社の見所として有名なのが55段ある赤煉瓦の階段。
中央線工事の際、トンネル等に焼成された赤煉瓦を、お稲荷さん本堂に至る階段に利用している。
トンネル保存委員会の方々には、是非とも当階段もトンネルから派生した遺物としてご紹介いただきたい。
 祖先が多治見村の地主、陶芸界において特異かつパリ万博で称賛された
西浦焼の五代西浦円治の窯で焼成されたものだ。

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対面にある不動明王・稲荷山などの関係はまた後日。



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Re: NoTitle

こんばんは。
コメント有難うございます!
池田のことを愛してくださる方が見えて本当に嬉しいです。

僕も池田が大好きで仕事の合間みて、ノンビリ更新することにしました。
なのでとってもゆっくりですが、気が向いたら立ち寄ってくださると嬉しいです。
今後ともよろしくお願いします!

お稲荷さんのお茶屋ありましたね。
昔は無かったですよね。
お稲荷さんについては、深く掘り下げていこうと調べてます。
あの辺りは歴史的にも特異な場所で、信仰も複雑に入り組んだようですね。
旧地名の大門から旧14号トンネルの名古屋側に至る川合洞まで、とにかく歩き倒します。

廃寺については少し過去に触れたので、実は今夏前から少しずつ周囲を歩いてます。
最初に総括的な記事を書こうと思ってますので、何卒ご高覧くださいませ^^
明円寺は、池田五山でも明治の廃仏毀釈で廃寺になるまで中心で、
場所は永泉寺の道路挟んだ対面、19号に面し神明神社の対面に位置してました。
五山に関しては、自ら仮説を立てながら識者の方に話を伺ったり、書籍に目を通し歩き倒してるので
また連載記事にしようと思ってます。

お地蔵さんはそうでしたか!
明治晩期の世代の方々は毎日欠かさず拝んでいましたよね。
僕も祖母に急かされお参りしてました。

仰る通り、最近の池田は継ぐ方がとにかく減ってしまい、良くも悪くも町屋の雰囲気が変わった気がしてます。
人の入れ替わりは必然ですが、建築物や自然など意味があり存在したものが、その意義を忘れられてしまうのは
とても残念でなりません。
池田町屋は、名古屋から信濃県境の中津にかけても特異な地域だったので、これから失念された意義を再び取り出しながら大事に後世に伝承していきたいですね!
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