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「古窯_総合」
古窯_美濃-大窯Ⅰ期

柿野1号窯

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かき2


中馬街道から小原の上仁木に抜ける交通要所に築窯され、大窯一期後期〜同三期にかけ操業。
この柿野1号窯は注目すべき点が多く、個人的にも重視しています。

窯自体は、調査報告書から複数の大窯(無論、時系列的に複数窯が存在するのは明白)に混在した物原が隣接の妻木川脇まで広がっており、以前工場が建って1mの盛土がされていた影響で、良好に残存すると思われています。
出土遺物として天目など茶碗等、種類豊富、かつ釉薬も鉄釉・灰釉・銅緑釉など多種に渡ります。

その注目すべき点の一つに、祖母懐・祖母懐土と刻文された茶壺が発見された事。
これは滝呂日陰1号窯で発掘出土されているのと同様、三河尾張に隣接する当地も瀬戸の作為に影響を受けている事になります。
天目茶碗も、無論操業時期に比する物ですが古瀬戸後期に類すると報告されているので、色濃く影響を受けています。
つまり、流通の面で瀬戸と一体のものもあり、赤津から下半田川を超え美濃の滝呂・柿野まで権力者の影響力が及んでいた事に深い意味が生じます。
更に言えば、柿野と土岐明智系の妻木氏居城である妻木城は目と鼻の先です。
鶴里は軍事的に非常に重要な地であり、域内に細野城が設けられるほど後に緊張感が生まれた地でもあるのです。
この様な事からも三河松平氏の脅威を受け始める当時、美濃に陶工が流れ始めた事、逆に瀬戸の水野氏・山口氏らや小原の鈴木氏や国人達と妻木氏や同じ土岐明智の池田氏、同土岐一族である小里氏などとも比較的良好な関係が当地域には存在した事を意味付けるものだと強く思います。

もう一点、報告書に面白い事が書いてあります。
平安期より当地は和紙の原料生産・稗など池田厨との関連付けが記載されています。
つまり池田御厨の影響力がこの地まで及んでいたという事実です。
土岐一族が池田御厨の支配地を徐々に削っていく鎌倉期から室町期までの過程、及び中世における池田の立ち位置測定は研究価値があると感じられる貴重な情報でした。

かき1





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